病牀六尺
『墨汁一滴』に続き、新聞『日本』に連載(明35.5.5-9.17)し、死の二日前まで書き続けた随筆集。
不治の病についた「病牀六尺」の世界で、果物や草花の写生を楽しむ一方、シッポク談義、子供の教育論と話題は多岐にわたるが、旺盛な好奇心が尽きることのない子規の姿には全く目をみはらされる。
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる――俳句革新運動における写生論を短歌に適用して、明治短歌革新の急先鋒に立った子規の歌風は、多用な題材を自由に歌い、子規文学の頂点の一つをなす。
全歌集『竹乃里歌』より短歌八百四十首、旋頭歌六首を厳選した子規歌集の決定版。
新たに初句索引を付す。
明治三四年、子規三五歳。
重い肺結核の症状に喘ぎながら、『松蘿玉液』に続き、新聞『日本』に連載(1.16-7.3)した随筆集。
多様多彩なテーマが、みずみずしくユーモアにあふれた筆致で綴られ、子規の精神に拡がりと深さが鮮やかに立ち現れる。
近代文学の巨星=子規が随筆家としての真骨頂を発揮した書。
子規が、死の前年の明治三四年九月から死の直前まで、折々に書きとめた日録。
日々三度の食事の献立から病苦と死の恐怖への煩悶に至るまで、病床生活を、俳句、水彩画等を交えて赤裸々に語った稀有な生活記録。
読みすすむにつれ、命旦夕に迫る子規の心境が何の誇張も虚飾もなくうかがわれて、深い感動に誘われる。
明治三十一年に発表された表題作は、『古今集』を和歌の聖典としてきた千年近い歴史がもつ価値観を転倒させた衝撃的な歌論であった。
万葉の歌風を重んじ、現実写生の原理を究明した子規の歌論は、全篇に和歌改革への情熱が漲り、今なお我々を打つ。
「あきまろに答ふ」「人々に答ふ」「曙覧の歌」「歌話」を併収。
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